2021/05/07

岐阜県の三柱鳥居のヘリポート2つ M君

一つは岐阜県郡上市大和町にあり、二つ目は関市洞戸の送電線近くに過去ありました。

郡上市大和町の三柱鳥居のヘリポート

ヘリポートと疑われている三柱鳥居のそばの空き地 郡上市では、三柱鳥居-木-空き地という位置関係になっています。この空き地の広さ、12mはヘリポートとして最低限の広さです。しかし、正式なヘリポートにするには、着陸面がコンクリート、あるいは、アスファルトで覆われていないといけないので、このままでは使用できません(日本の法律上)。ここの建設に関わった船戸行雄 岐阜県 県会議員は、「大和町内ヶ谷渓水苑構想」が本格化してから、着陸面の整備を計画していたのでしょう。大和町の三柱鳥居は、1994年(平成6年)8月1日に建立されました。

関市洞戸の徳積三柱鳥居のヘリポート

洞戸付近のgoogleマップの航空写真。右下に樹木がなく茶色の円形があります。また、そこから右上に向かって林道の筋も見えます。

国土地理院の洞戸付近の地図を参照。中央の+の所に徳積三柱鳥居のヘリポートがありました。その少し上を東西に走る線が送電線です。

船戸県会議員は、洞戸の出身なので、ここの三柱鳥居にも関係していると思います。洞戸の三柱鳥居は、1995年(平成7年)10月19日に建立されましたが、今はありません。

「洞戸の徳積三柱鳥居」を画像検索すると、鉄塔の前に立つ三柱鳥居が見つかります。2008年8月に、大和町の三柱鳥居を探索に行った帰り、洞戸の栗原橋近くの宿に泊まりました。そこのご主人に、上記の画像について、おたずねしたところ、「6kmほどの道のりの山の上にあったが、今はない」という事でした。翌朝、車で探しに行きました。鉄塔だけがありました。道は荒れていて、帰りにタイヤがパンクしました。岐阜県の三柱鳥居がある場所を求めて探検記 8月

「洞戸ヘリポート」をgoogleで画像検索すると。Hに〇の印がある写真が見つかりますが、これが、洞戸の山の上のものかは怪しいです。

宿のご主人からは、船戸議員の事も聞いた気がしますが、内容は秘密です。

徳積村は1897年に合併の為になくなり、現在は揖斐川町ですが、この徳積とは別の場所です。何故、徳積三柱鳥居と呼ぶのか不思議です。

2つの三柱鳥居ヘリポートに関わった船戸県会議員

船戸議員と郡上市大和町との関わりについては、CBCテレビの調査で報じられています。関市洞戸については、確証はありません。解っている事は、船戸議員が洞戸出身だという事。平成1年3月の岐阜県の定例会で、知事が「一市町村 一へリポート構想を推進するとともに、中核へリポートの建設に向け調査検討を進めてまいります。」と言った時の県議会議長が船戸さんだったと言う事です。平坦な平野に住んでいると解りませんが、山間部では道路の崩壊が起きやすくヘリによる物資の運搬は重要なのです。

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岐阜県大和町の三柱鳥居。このトピックは、2009年1月19日に作成された。

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開設日:2006年7月9日。参加メンバー:110人。参加条件と公開レベル:だれでも参加できる(公開)。トピックの作成権限:参加者が作成できる

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